子育てコラム Column about Child-rearing » »タイトル一覧へ戻る



父親の子育て

喜多濃 太香

掲載:2010年9月2日




 私は、三人の子どもの父親として「父親の子育て」という言葉にいつも戸惑いを感じていました。厳しい父親の背中をみながら育った世代の私にとっては、自分の子育てを省みると、反省やら後悔の日々の繰り返しです。そのくせに父親としての威厳だけは保とうとしていたように思えます。

 「地震、雷、火事、親父」とは怖い物の譬えと捉えていたのですが、実は、台風などの際の山からの強い風の大山風(おおやまじ)がなまっておやじとなった説があり、おやじは、はじめは、地震、雷、火事と一緒の怖い物の仲間ではなかった様です。やはり、いつの時代も自然が一番怖いのかもしれません。

 私が、子どもたちと関わる仕事の中で、今も追い求めている理想の姿は、江戸後期の禅僧である良寛和尚(1758-1831)なのです。「この里に手まりつきつつ子供らと遊ぶ春日は暮れずともよし」村の子どもたちと一緒に毬つきをしたり、かくれんぼをしながら夕暮れまで無邪気に時間を忘れてたわむれる子どもとの関わりの逸話が、幼児教育の世界に飛び込んだ私の原点だからです。

 自然の中でたわむれる子ども達の姿を、優しいまなざしで見守る親の姿は、未来を見据えた子育ての姿です。子ども達の無邪気な姿に誰もが童心に帰り、心が癒されるものです。 いま、私の勤めている幼稚園とお寺の庭は、三つ葉のクローバーが咲き誇り、小さな幸せ「四葉のクローバー」探しに夢中です。また、「大葉子」オオバコで花茎をからませて引っぱり合い、草相撲をして遊んだり、レンゲを摘んで腕輪や髪飾り、指輪を作ったりと、昔ながらの遊びで、自然に親しんで楽しむ場所がたくさんあります。子育てが、大自然に沿った肩の張らないものであってほしいと思います。

 日々の暮らしの中では、他人に対して、なんであんなことを言ってしまったのだろう。傷つけてしまったかもしれないと、自己嫌悪に陥ることがあります。子育て真っ最中の時は、毎日がそうだった気がします。そんな時、良寛の様な思いに任せに自由無碍に振舞いながら無欲恬淡な生き方に憧れていました。 そして、中々そのような境地に立てず、ましては、世間体などに捉われている自分自身を実感した時、良寛和尚が自分への戒めの言葉を書き記した「戒語」の存在を知りました。あんなに自由に振舞っている雰囲気がありながら、実は自分自身を律していた良寛の生き方に、私は自分の子育てを振り返り、子どもへの言葉がけと照らし合わせて考えさせられることが戒語の中にたくさんありました。

 父親の存在感と威厳がないと嘆くよりも、温かく子どもたちを見守る太陽のような存在感と、子どもたちの未来を見据えた時代に即応した営みを、共に考えていきましょう。 子育てにうまく参加できないお父さん達にエールを送ります。

 日本子育て学会へのお父さん、お母さんのたくさんの参加をお待ちしています。

【著者紹介】

喜多濃 太香: 学校法人光輪学園三ケ島幼稚園園長