子育てコラム Column about Child-rearing » »タイトル一覧へ戻る



保育のクロス・ロード 3

梅崎高行/細川美幸 往復書簡

掲載:2013年11月16日




細川  子どもが1歳後半になりました。「僕の!」「いやだー」「しない」など、いろんな自己主張がはっきりしてきて、お友達との物の取り合いも盛んになってきました。
 最近、専門家からママ友まで幅広い人気を誇る(?)「愛情不足」と言う言葉について、考えています。子どもが問題行動を起こす、またはこちらにとって理解できない行動をする、そのときに周囲が、「親の愛情不足ね」と、意味づけることが多くみられます。例えば、「指吸い=親の愛情不足」「落ち着かない=愛情不足」・・・本当でしょうか!?
 意味づけした人は「したり!」顔で解決するのですが、意味づけされた相手は、不安になる、自分を責める、自信をなくす、混乱する、そして、どうしたらいいのかわからなくなることが多いように思います。もっと具体的に、本人が何に困っているのか、そのために保護者も私たち周囲もどんなかかわりをしてみるとよいか、そういうことをあきらめずに考え続けることが大事なように思うのです。1つの言葉で意味づけして、すっきりするのは周囲です。「なんでかな?」の葛藤から逃れられるからです。ストップせずに、 ' 思考し続ける ' ことが大事な気がするのです。きついけど。あきらめない忍耐が支援者には必要だと思うのです。支援者としての自分、親としての自分の両方に言い聞かせている気もしますが。
 梅崎さん、どう思われますか?


梅崎  前回(保育のクロスロード2)を踏まえ、愛情の「過多」と「不足」をめぐるクロスロードですね。
 私は、相手を不安にするような意味づけはナンセンスだと思います。よかれと思ってなされたのだとすれば、残念なことです。とはいえ、私たち研究者の言葉も、誤解され、曲解され、残念な意味づけの根拠にされることがあります。他人事では決してありません。
 関連して私は、「愛情過多」の問題を考えています。不足も過多も、子どもの育ちに良い影響は与えません。そこで子育てにおいては「ほどよさ」が目指されるわけですが、何とも曖昧でよい言葉です。「ほどよさ」ってどのくらいでしょう(笑)。
 私は、子育てや保育における歯切れのよい言葉を、いったん疑うことにしています。そうやって、たとえば「ほどよさ」といった曖昧な言葉をめぐり、みんなで話し合うことを大切にしています。まどろっこしいそんな私たちのやりとりこそが、実は、子どもの発達を健全に支えるカギだったりするのではないでしょうか。


細川  歯切れのいい梅崎さんが「曖昧さ」を大事にされてらっしゃるとは、面白い。TVなどでも「自分の子育てが間違っていた」という発言がありますが、そもそも、子育てに正解があるのか。親も子も支援者も、失敗やうまくいかなさなど、そういう ' not perfect ' を受け入れることと、「ほどよさ」と、つながる気がしてきました。