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保育のクロス・ロード 5
梅崎高行/細川美幸 往復書簡
掲載:2014年4月13日
あなたは養成校の教員
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実習4日目、学生から「実習を中止したい」と申し出がありました。理由は「保育士にむいていない」ということでした。あなたは実習中止を承諾する?
細川 ある日、学生から電話がありました。
開口一番に学生が「実習中止していいですか」と。理由を聞くと「子どもが言うこときかないとき、どうしていいかわからない。子どもに人見知りとかされるし。子ども好きやったけどこのままだったら子どもが嫌いになりそう。保育士に向いてない。」と言いました。
私は「向いてないって、4日で何がわかるの?やる気ないなら止めたらいい」と咄嗟に言いたくなったのですが、なぜか抑え、「それは子どもの姿の一つよ。どうしていいかわからんのを学ぶのが実習だと思うよ」と伝えました。学生を前にして、養成校の教員として、どうあるべきか、ということにはまだまだ不慣れな私です。学生の発言や姿を、どう捉えて、どう応えることが教育なのか、迷います。学生から葛藤を与えられるというか、ぶれる自分に出会ったとき、皆さんはどうしてらっしゃるのかな、とそんなことを考えました。
梅崎さんは,いかがですか?
梅崎 「あるある」と頷いてしまいました(笑)。学生への申し渡し、よく思い止まられましたね。
このコラムを保護者会員の方が読んでくださったとします。おそらくこう思われるのではないでしょうか。
「いいですね、保育者は'や~めた'が簡単にできて。親はそういうわけにはいかないのですよ」と。学生に対し、もっとも腹立たしく思うのは、「あなた、葛藤してないですよね?」という点です。
保育士養成校の教員が果たすべき責任の一つに、必要な場合には保育士資格を与えないことがあると思います。「そのような評価がお前に可能か」とお叱りを受けそうですが、保育士不足に伴い養成校が乱立する時代にあって、このことはもっと交わされていい議論ではないでしょうか。だって保育士って、隣のおばちゃんやその辺のお兄ちゃんとは違うのですから。国家資格を持つ子育てのプロなのですから。
…と、ここまで考えてきて、細川さんのコラムに登場した学生さんの不幸を思いました。それは、実習で初めて子どもに出会ったんだろうなぁということです。たぶん以前は、子どもに出会うチャンスのあった人が、保育士養成課程で学び、実習にも出かけたのではないでしょうか。
子育てが閉じてしまった現代は間接的に、保育士養成の文脈にもマイナスの影響を与えているのかもしれません。差し当たり私にできることとして、今日も学生を連れて保育のフィールドに出かけたいと思います。
細川 なるほど、自分が何に腹を立てていたのか、梅崎さんのリプライで少し見えてきました。
学生の発言は、『乗り越えてほしい葛藤』として自分の中で勝手に位置付けられていたのかもしれません。いえ、『乗り越えてほしい』という願いでもなく、『乗り越えるべき』もの、至当論でした。
願いと、至当論、どちらをもって自分は学生の前に立つか、どちらを持つと腹が立つのか、そういうことを考えさせられました。
梅崎さんの言うように保育士は、親でもない、近所の子ども好きのお姉ちゃんやおじちゃんでもない、保育の専門家です。専門家養成校の教員として、自分ができることをあらためて考えさせられました。
ある幼稚園の園長先生に、『学生への教育場面でブレてしまうのです』と愚痴をこぼしたところ、その先生は、こうおっしゃってくださいました。『ブレる、というのは、先生の感性が柔らかいからではないですか?教育者たるもの、ブレるものではないでしょうか。私もこの年になっても、ずっとブレてばかりです。ブレなくなったら教育者として終わりかもしれません。』
教員として、親として、心に響く言葉でした。
ブレるからこそ、対話ができる、のかも、しれません。梅崎さんの「差し当たり私にできること」と言う言葉が、印象に残りました。差し当たり今の私にできることは、私自身がブレから逃げないようすることだと気づきました。園長先生もこうおっしゃっていました。
「ブレないほうが、楽なんだけどね(苦笑)」。