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保育のクロス・ロード 6
梅崎高行/細川美幸 往復書簡
掲載:2014年7月27日
あなたは母親
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2歳の息子は遊んだおもちゃをちっとも片付けません。食事・入浴・就寝の度に片付けを促します。しかし、完了できぬまま、毎回母親である私が片づけることに。息子の自主性に任せる私が甘い?できないならおもちゃを捨てるなど、強硬策に出る?
梅崎 わが家で毎日繰り返される光景です(笑)。
1人の息子に手を焼くのですから、たくさんの子どもが集う保育所などは大変でしょう。
ところがたまに一時利用でお世話になる保育所の保育士曰く、愚息もきちんと片づけしながら楽しく遊んでいるとか
。
むしろ、友だちがいる保育所の方が、真似たり真似られたりしながら、片付けなども学ぶのでしょうか。
それとも保育士は、子どもをその気にさせるテクニックに長けているとか?
細川さんのお子さんも間もなく2歳でしたよね。細川家ではこの問題、どんな方略で対処されていますか?
細川 この問題、小・中・高と、共通してありそうな問題ですよね。
親が「お弁当箱は自分で出しなさい!」「上靴は自分で洗いなさい!」と、言う。しかし、その通りにしない子どもにイライラし、「自分で気づくまで放っておく!」という人と「でも結局やってあげなきゃしょうがないからやっちゃうの」という人と、あちこちで聞いてきた気がします。
ただ、ひとつ梅崎家に聞きたいことがあります。いつ頃から(息子さんが何歳ころから)このクロスロード問題が登場し始めましたか?
というのは、こちら息子が2歳半になるのですが、我が家ではこの問題はまだあまり顕在化していないのです。その理由を考えました。
① 私がこの歳の息子の片づけに関して期待していない。
② 「片づけ」という言葉をあまり使っていない。
以上2点を自覚しました。
寝る前に片づけをしてほしいときに、「ねんねしよう。電車さんも眠たいって。」というと、息子は「ん?電車さんが?」と言って自分から電車を箱の中に入れます。それを見て「おお、すごい」と思うぐらい、片づけができることを期待していないのです。もっと言うと、「嫌」と言われるだろう・片付けないだろう、と最初から思っている、ということです。
「イヤイヤ星人」の2歳、我が家でもなんでもスムーズにいくわけがありません。が、着替えのときも「着替えなさい」というと「いや」と言われますが、洋服を並べて「大きいほうから(襟側でなくて裾側)ヨイショするとできるよ」というと「大きいほうから?」と言って自分でやりたがります。『着替えてほしい』という願いは同じなのですが、言葉がけで子どもの行動が変わる、という実感はあります。ですので、保育所での
<それとも保育士は、子どもをその気にさせるテクニックに長けているとか?>
は、一理あるようにも思います。
こちらの「させねば!」という気合の入り具合と、子どもの「イヤイヤ!」の気合の入り具合の見事な比例には、子どもが寝た後反省する日々です。
そうそう。私の場合は、上靴洗いは自分でしないと、本当に洗ってくれない母でしたから。上靴洗いは今でも嫌いです。いま、息子の上靴は、夫が洗ってくれています(苦笑)。
梅崎 なるほど、口やかましさは期待の表れですか。
ある先生から教わったのは、遊びに満足できたら片付けるという話でした。
十分に遊び、その楽しさを味わうことで、気持ちの切り替えができるということです。そのようにして遊びの楽しさを知る子どもは、自ずと楽しく遊ぶ前提条件に気づきます。つまり、あるべきところにモノがあるという状態ですね。この循環を回すべく努めている、というのが先生のお話でした。
この話、別府先生(岐阜大学)が着目されるご研究とも関連が深そうです。
クラスには特別な支援を必要とする子どもがいます。彼らの、活動に対する盛り上がりは、健常の子どもと異なることがあります。彼らにとってようやく遊びがおもしろくなってきたそのときに、「さ、片付けをしてお昼にしましょう」となることが多く、これがパニックを呼ぶという内容です。
子どもたちの気持ちをピタリと合わせ、片付けを、自然かつ必要な営みと捉えられるような関わりが、日々求められているのかもしれませんね。
「~しなさい!」の突然のひとことに、すべての期待を集約してしまうのではなく。
細川 実は、このやりとりをした直後に、ある保育園の園長先生と主任の先生とお話をする機会がありました。このクロスロードの件とは全く違うことでの話だったのですが、思わぬタイミングに、考えさせられました。
先生方の主張は
「今、親が困らなくなっているから、子どもが育たなくなっている」
というものでした。
紙おむつを使うと、親の手が汚れずに済む、そしておむつを外せなくなっている、ということをはじめ、子どもに、どう育ってほしいか、という親の願いがなく、それを助長するように、親にとって便利なものが世の中にいろいろあるので、親が困らなくなっている。そうすると子どもたちが育たない。育つ機会を失っている。
ということでした。
この話を聞いて、親も子も、しっかり困ることは、大事なんだなあ、とあらためて思いました。
梅崎家は、親子で育ちあわれているんですね。