子育てコラム Column about Child-rearing » »タイトル一覧へ戻る



子育てのクロス・ロード 3

梅崎高行/細川美幸 往復書簡

掲載:2018年5月27日




前回からの続きです。
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 今日は子供の習い事の日ですが、子どもが『行きたくない』と言いはります。
あなたはそれでも連れて行く?

細川  
梅崎さん 
 読み応えのあるお返事を,ありがとうございました。お返事の中身が,あまりにも宝の山で,どのネタにどんなお返事をしようかな,と,ずいぶんと寝かせてしまっていました。

 特にGrolnickさんの考え方は興味深かったです。『大切なことは,Grolnickさんが述べるようにあくまで子どもの状態なのです。 子どもを抜きにして'理想の子育て'や,'よい関わり'が決まるわけではないのです。』のくだりは,日ごろのモヤモヤがすっきりした気持ちでした。また,『自律性支援的で,ストラクチャー有』の話も,保育者養成や,保育や教育を考えたときにも同様だな,と思いました。

 『子どものサインを捉えて適切であるかどうか』,これは,まったく当事者(親―子)にはわからないですよね(苦笑)。もちろん,親として,子どものサインをできるだけキャッチしよう,そしてできるだけ応答しよう,と努力します。が,まだまだな私は,残念なことに見過ごすこともあれば,サインを間違って受け取ることもあります。ときには,それなりの子どものサインの中身を想定しつつも,親の願いという印籠を掲げてサインに応えないこともあります。あくまで私にできることは,『サインを捉え「ようと努力し」,適切「であろうと努力する」かどうか』、です。そしてサインを捉えることもできず,適切でもないこの不完全な親の補完を,自分たちの親や地域のおじちゃんおばちゃん,保育者や教育者や指導者などなど子どもが出会う人達に願っている(頼っている?)のかもしれません。いやいやほんとに,一人じゃ子育てできない!と思うし,一家族だけで子育てはできない!と痛感する毎日です。

 そんな私ですので,『①「行かないならやめなさい」や,③「とにかく行きなさい!」は ,Grolnickさん流に言えばコントロール(反自律性支援)でしかないのですが,至極日本的な養育として 評価できる側面も見出せるかもしれないということ』という部分に救われました。そりゃあ,『自律性支援的で,ストラクチャー有』でいたい!!だけど,生きる,ってそういうことかな?と思うことがあります。稼ぎながら生活をする,多様な人と共に生きる,「私」という親である,ってときには,どうも理想通りにいかない。そして,『ならぬものは ならぬ』,や,その他,理屈を超えたある姿勢が,子どもの何かを育てるような気が,私もしているのです。他でもない私自身も,私のある部分はそれらで育った気がするのです。さて,それは何かなあ。梅崎さんの研究成果,楽しみにしています。

 梅崎さんのお子さんは,一足早く思春期突入かな?『ならぬものはならぬ』を破壊していく時期ですよね。対峙する梅崎パパの姿が,楽しみです。また聞かせてください。