注:文章中の写真と内容には関係がありません

(続き)

梅崎  前半の部分だけでもいいお話をたくさん聞かせていただいて、今日、座談会させていただけて本当に良かったなと、今、持橋先生(日本子育て学会広報委員会委員。本座談会企画者)とお話したんですけど。子どもを主体にする子育てとか、保育について、語られることはだんだん増えてきましたし、共通の認識を持って、そうだよね、主体にすることってすごい大事だよねって言われるんだけど、じゃあ例えば実際に保育の現場がそうなっているのかって考えた時に、語られはするけれども、まだまだそうなってない現場が実は多かったりするんじゃないか、というような問題意識を、私も持ってますし、持橋先生もお持ちだと。どうしたら、本当にそうできていけるのか、というところにだんだん話を進めていきたいと思うんですが、それに先駆けて、本当に僭越なんですけれども、私が用意してきた話題を少しご覧いただいてよろしいですか。
 最初にちょっとね、映像を見ていただきたいんです。

4歳児のハンドベル選択場面

梅崎  どういう場面かと言いますと、保育園の4歳児のクラスです。ハンドベルをしようとしているんですけど、20人子ども達がいて、例えばソの音をしたい時に、ソは3つしかない。そうすると、5人が希望した時に、かち合うわけですよね。で、保育士の願いとしては、これからハンドベルのどの音がやりたいか選ばせるんだけど、「ちゃんと自分がこれやりたいって言ってほしい」っていうのが一つある。もう一つは、「希望が重なった時に、折り合いをつけて話し合ってほしい」。そういう場面です。保育計画の中で、保育士は40分選択に掛かるだろうと見たんです。しかし実際には、5分で終わっちゃったんです。その5分を見ていただきたいんです。4歳がハンドベルを選ぶっていう場面です。

〜映像が流れる〜  ※なお、本事例(梅崎,2013)は、日本子育て学会第4回大会ポスターセッションにて発表されました。

梅崎  あと1分くらい続くんですけど、ちょっとここまでで。

森田  特に(子どもたちの間で)葛藤はなく、こんな調子で決まるんですか、最後まで。

梅崎  決まったんです、はい。

ハンドベル選択に映される発達

梅崎  で、先取りして申し上げると、その葛藤なく決まっちゃったことを問題にしようと思っているんですね。資料を1枚ずつお配りします。
 1枚めくっていただいていいですか。「ハンドベル選択に映される発達」なんて、ちょっと仰々しいタイトルつけたんですけど。今、水色のソの音を選ぶ場面を見て、映像をストップさせていただきました。その水色のソが決まるまでの30秒くらいの出来事を文字にした時に、こんなふうになりますっていうものが、この表(トランスクリプト。できごとを文字化したもの)です。

森田  女の子1人だけで、男の子が3人だった?

梅崎  この場面はそうですね。ちょっと読んでみますと、担任保育士が、「じゃあ次、水色のソの音がいい人?はーい、ソの音は出番がいっぱいあります」って言った時に、言い終わる前に、「はーい」って子ども達が返事をして、女の子のSちゃんと、男の子2人が立ち上がったわけです。Sちゃんなんかは、保育士に言われる前に、保育士の持つベルに手を伸ばしてきた。そうしたら、もう1人、奥に加配の保育士がいたんですけれども、別の子の希望に気づいたんですね。「あれ、Yちゃんも?」っていう感じで。そうすると、遅れてYがそろそろって手を挙げて、合計4人が立ち上がったことになる。2分44秒のところでですね、「はい、ソの音がいい人立ってください。Yちゃんもソがいいの?立ってごらん、じゃあ」(という担任の発話)で4人が立ち上がる。(担任の)先生は、ここで実は期待をしているわけです。さあ、どうやって決めるかなと。ところが「3つしかないけど、4人います。さあ、どうしようか。皆で考えてくださーい」って言うと、すっとYが座ってしまうんですね。で、「いいの?Yちゃん」って加配保育士が声をかけて、さらに、「どうする?」って担任保育士が言おうと思ってたら、あー、Yちゃん座っちゃったみたいな感じになって。そして、みんなYちゃんにお礼を言いましょうみたいなかたちで終わる、そういう場面なんです。
 実は私、ご覧いただいたこの4歳のクラスに、(子どもたちが)2歳のときから関わらせていただいていまして。年間3回ずつ園内研修会をしているんですね。で、今見ていただいたのが、4歳の時のある研修会の時に、皆で話し合った場面なんですけれども。

 (この後、時間にして10分ほど、事例についての説明が続きます。ここでは割愛します)

梅崎  話題提供になったかどうか。余計に混乱させたんじゃないかっていうような感じもありますけども、感想など何か思われたことがあれば、教えていただけませんか。じゃあ、松永先生。

一斉保育における保育者のかかわり

松永  そうですね。わりと幼稚園とか保育園とかって、皆でまとまって同じことをしましょうっていう場面が、多いと思うんですけど、例えば絵の具を手で触るのが苦手な子がいる中で、やらないという選択肢も一つ、そこを無理矢理やらせることはしていないです。ただ、そのやりたくない気持ちは受け入れつつも、じゃあ、どういったかたちだったら参加ができるかなっていうふうに、私たちは考えているんですね。じゃあ、直接触わるのが嫌だったら、筆だったら参加できるかなとか「そうか、なんでしたくないのかなー。そうか、手で触るのちょっと嫌なんだよねー。じゃあ、こんなのもあるよー」っていうかたちで提示されたら、ちょっとやってみようかな。で、やってみたら楽しかったっていうところで、それがまた次につながったりすることが多いです。

梅崎  一つは、選択肢を増やしてあげるっていうことですかね。

松永  そうですね。こうしなきゃいけないじゃなくて。

梅崎  もう一つは、その時点で何とかしなければいけないっていうことでは、必ずしもないということですよね。

松永  そうですね、はい。1回やってみて、あっ、あの子は手で触るのが苦手なんだなっていうことが分かるので、じゃあ次、その絵の具を使う時には、こんなものも用意してみようかなっていうふうには考えます。

梅崎  子どもから教えられて、そこで保育に工夫が生まれて。

松永  (提供事例から)そんなことを考えました。

梅崎  そんなふうに、いろんなアイデアを出していただけると幸いです。今、頷かれておられましたけど、塚越先生、何か想起されることがもしあれば。

塚越  私もそう(松永先生と同じように)思います。先生が選択肢を分かり子ども達に示すことで、活動に参加できると思います。先生から活動への参加のしかたを出された時、もし子どもが参加し難い様子が見えたら、先生は「なぜなのかな?」と考えることは大切ですね。もしかしたら、その子どもの成長過程に原因があるかも知れません。先生が柔軟な考えをもち、子ども達にいろいろな場面で選択肢を示し、活動に参加できた、参加して楽しかった、またやってみたい、と感じて欲しいと思います。しかし、一般的にはそれほど子ども達に選択肢が示されない場合が多いと思います。

梅崎  選択肢、選択できるチャンスを保障してあげる。例えば、先ほどの女の子の例だと、自ら腰を下ろすんですよね。(彼女は主体的に)選択をしているって言っていいんでしょうか。つまり、よしよし、これも一つの姿だって認めていいのでしょうか。

塚越  そういうふうには、私には見えませんでした。

梅崎  どんなふうに塚越先生はお感じになられましたか。

塚越  あの場面では、自分から主張できていなかったと思いますし、あの子のような子ども達が割合多いと思います。あの子の場合は自分の気持ち、意志表示をするのはどのような場面なのか、保育の中で観察したいですね。

梅崎  彼女が自分のやりたいことを主張できるチャンスを探していく。

塚越  はい。

梅崎  松永先生のお話であった、絵の具の例なんかで考えますと、食わず嫌いって、絵の具には当てはまらない言葉かも知れませんけれども、やってみたら楽しい。やる前はちょっとなんか嫌だな、感覚的に嫌だなってなって、なんか手が出ないんだけど、ふとしたきっかけでやれると、なんかその瞬間にパッと、あっこんな楽しいんだみたいになるとか。そういうことを思うとやっぱり、ある一定の期間が保障されている保育の意義が見えてくるような気がするんですけど。長い目で、いつか変わるんじゃないかって、期待を持てる時間がそこにあるというか。

きっかけづくり

松永  そうですね。実際に、そのやりたくないって言ってた子が今年度もいて、初めて絵の具を出した時に見てるんですね。もう泣いて泣いて、ギャーギャー言って、触らない、触らない。「うん、分かった。いいよ。触らなくていいよ。見るだけでいいよ。見るならじゃあ、ここに座っててね」って、その子は座ってじーっと見てたんです。じゃあ、また次回絵の具やりましょうってなったときに、「前回、触れなかったよね、あの子」っていう話に(保育者間で)なって、じゃあどういうかたちだったら参加できるかなと話し合いました。そして筆を出したら、これならやってみるって言って参加できて、あんなに頑なに嫌がっていた子が、またやりたいって言って。もっともっと、もっともっとっていう場面が見られたので、きっかけづくりをしてあげるのって、すごく大事というか。そのほんのちょっとのことで、その子の幅が広がるというか、いうことをすごく感じた一瞬でした。

梅崎  そういう意味では、子どもって弾力に富んでいて、凝り固まってないと言いますか。どんなきっかけで、変わっていくか分からないし、実際にその力もたくさん秘めている存在だったりする。

松永  それをたぶん無理矢理、「大丈夫、大丈夫」って言ってやらせると、もう本当に絵の具嫌いっていうのが染みついちゃう可能性も大きい。だから、最初ってすごく大事だなと思います。

梅崎  その辺りが、先ほど森田さんもおっしゃってた言葉、冒険できる機会を用意して、大人は待つということにつながる。

森田  待つのもそうだけど、私が思うのは、私、昔キャップっていうのをやってたんですよ。

梅崎  キャップというのは?

嫌って言っていいんだよ

森田  キャップ(CAP)というのは、子どもが自分で自分の身を守るっていう、子どもへの暴力防止プログラムです。私たちは保育園とかにも出かけていくんだけど、子どもが自分でノーと言える練習、それこそ練習をする。それは、いじめとか、体罰とか受けた時に、自分で自分を守る力は子どもにあるんだよと教えるプログラムの中で、嫌って言う練習をするんですけど。
 保育園でやるとき、ロールプレイで、私たちが何か言って、(それに対して子どもが)嫌だって言う練習をするんです。最初から嫌だ嫌だ、わーって言える子もいるけど、嫌だって言うことのハードルがすごい高い子もいるんですよ。その子に対して、「嫌って言ってもいいんだよ」って。子どもたちも、嫌って言ったら怒られるばっかりの生活で、嫌って言っていいんだよっていうことは言われたことがない。でも、嫌って言っていいんだよっていうことを言われると、少しずつ言えるようになって、最後は大きい声で言えて、「よく言えたねー」とほめてもらう経験をすると、すごく自信がない子も言えるっていうプロセスがあったりして。練習をするんですけど、子どもたちの中には、物凄く葛藤があると思うんですね。
 ここ(事例の中)の加配保育士さんも、とてもよく見ている。「Yちゃんも?」って言って、「(したい音が)あるんじゃないの?」って聞いてやって、「うん」って言って(Yちゃんが)立ち上がったところは、すごく上手にフォローしている。そのあとでも、座った時に、「いいの?Yちゃん」っていうのは、子どもにとっては、葛藤を薄める(納得を促す)言葉がけであったりするのかもしれない。
 子どもにとっては大人の言葉の影響力ってすごく大きい。保育士が慮って言ったつもりでも、子どもにとっては、「いいの?」って(大人が)聞いたら、いいって言った方が好ましいんだっていうふうにとらえちゃうようなことがあるので、そこの言葉がけは慎重に。(あなたが好きなのを選んで)いいんだよーみたいな、葛藤に上手に寄り添う、プロセスに付き合う保育スキルというか。でないとたぶんここは、男の子3人、女の子1人っていう、もともと見ただけで難しい状況ですよね。ハンドベルは青だし、「もう私じゃなくて、男の子かな」みたいなことを考えてしまうだろうな。やっぱり女の子はちょっと引いたほうがいいかもみたいな、社会的なことも、4歳とは言え、なんとなく刷り込まれているだろうし、そこを超えて、葛藤するっていうことは、やっぱり大人の寄り添いがちょっと必要かなと思ったんです。
 そういう練習が保育場面の中でできて、そういう体験を積み重ねられると、自己主張の苦手な子には、本当にいい練習になる。それをサポートする人が、「Yちゃんも?」なんて後ろで救ってくれる、(事例中の加配保育士のように)信頼できる大人であればあるほど、サポートされてうれしい。その子は「いや、私が」と、一人で言う(主張する)ことは無理だけれども、「いいんだよー」って言ってもらえれば、その人が後ろにいるっていう安心感で、恐る恐るだけど言ってみることができたり、でも駄目ならやっぱり座ることができたり。ステップは少しずつだろうけど、そこら辺のフォローを入れてもらえるっていうようなことが重要。担任保育士さんは全体を引っ張って、この場合は加配の保育士さんがちょっと動くとか、そういうことで育っていくこともあるのかなって。(ここで女の子は希望を取り下げて)座ってしまうんだけど、自分で(座ることを)選んだっていうふうには、私には全然見えなかった。むしろ遠慮したんだろうなって思った。きっとこの子はずっとこういうふうに遠慮してきたんじゃないか。そこをちゃんと葛藤に1回寄り添ってもらう体験があるとちょっと違うかなっていう気がします。その辺の保育って、どんな保育なのかなっていうふうに思いますね。

梅崎  その辺り、持橋先生も何かご意見があったりします?

言うことと聞くこと

持橋  そうですね、主体性を育てるっていうことで考えると、自分の意見を言うということと、相手の意見を聞くということがどっちもできないと、たぶん主体性が育たないと思うんです。こういう、先生のねらいが葛藤場面を乗り越えてほしいっていう場面で、少ない数のもの(希望者皆に渡るとは限らない,数量に制約のあるハンドベル)を皆で決めるということをあえてしたんだったら、ああいうふうにスッと座ってしまったところをそのまま受け入れるのは、保育者の持つ願いに叶ってないんじゃないかなって、感じましたね。子どもに、一人ひとりに喋らせるとか、もうちょっと場面設定を考えてもいいんじゃないかと。やっぱりある程度大人のサポートがないと、主体性が前に出てこないこともあるので、そういうことを想定した保育の仕方が考えられるんじゃないかなっていうふうに感じました。

梅崎  その辺り、つまり保育者の力量の話だったり、たくさんの選択肢がある保育の構成だったり、あるいは長いスパンで再チャレンジできるような機会が保障されたりとか。忙しい現状の中で、それはどのくらい可能なんでしょうか、松永先生。手厚くたくさんの選択肢を用意し、相当先生も、大変な思いをされておられると思うんですけど。

松永  うちの園は、そういう部分を大事にしたいと思ってカリキュラムを組んでいるので。

梅崎  そうですよね、(そういう保育を行おうと思えばまず)カリキュラム構成からですよね。

松永  はい。そういう時間を確保できるようにと思っていますけど、どの程度まで考えられるか。どこまで子どもの主体性、気持ちを、その時に汲んであげられているかなとは思うんですけれども。

気づかれにくい子ども?

森田  カリキュラムもそうですが、保育の現場だと、発達段階に沿って設定されるので、用意されたカリキュラムに際して課題を乗り越えられなかったときに(初めて)問題として提示されるというところがあって、課題は抱えていても、こういう衝動的な、目立つものの陰に隠れて、なかなか課題と認識されにくい。先生方は、1対何十名とかの数の子を見てらっしゃるので、なかなか難しいと思ったりするんですけど。
 他の保護者と一緒にいたりとかすると話す内容として、もちろん保護者によってですが、(子どもが)発達障害のような特性がちょっとあるかもなっていうようなことについては、親はもうずっと早くから気が付いているっていうことがあります。でも、保育の現場では、それが発達課題になるところまでは、その子の課題としては扱われないので、親はもう、なんかこの子ちょっと違う気がするっていう課題をずっと思っているんだけど、誰も取り合ってくれないというような感じを抱えている場合も結構あるんですよね。それは全部の親がそうというわけではないんだけれども、そういう親も結構いて。だから、子どもの課題について、親が1対1で相談できるような機会があるといい。以前よりはだいぶできてきたんですけれどもね、何か課題があったら相談してくださいっていうようなシステムはあるんだけど、うちの子はこういうとこが心配で、ということを言える親もいるけど、思ってるけど言えない親もいて。そういう子どもについて、親が親なりにアセスメントしていることについて、先生と話すチャンスがあるといいんだけどねっていうふうに思ったりすることはある。そういう話はよく出ますね。

(次回に続く)