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『居場所 - 生の回復と充溢のトポス』

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著者:萩原建次郎(駒澤大学教授)
出版社:春風社
出版年:2018年
出版社書籍案内ページ:http://www.shumpu.com/portfolio/666/

評者:西村美東士(会員)


 萩原氏は、1997年に起こった神戸連続児童殺傷事件を起こした少年が「犯行声明文」に書いた、「透明な存在としてのボク」という「実存的な悩み」に共感する子どもや若者が存在していたことに注目する。自己の存在感が質感・量感ともに無化しているこのような状況が、子ども・若者の世界で静かに進行していることを予感させるとする。このことから、現在の居場所をめぐる問題は、数量的データで可視的に説明しようとすると「すり抜けてしまう」次元にきていると指摘する。

 氏は、もともとは三間(遊びなどの時間・空間・仲間)の減少という形で可視的にとらえられていた状況が、「心の居場所」という一人一人の目に見えない経験世界(意味世界)に踏み込まざるを得なくなってきたと言う。言いかえれば、それまで子ども・若者の居場所がフリースペースやフリースクールといった学校以外の生きる空間(スペース)をさしていたのに対して、今では彼ら・彼女ら一人一人の「ボク」や「ワタシ」の存在理由や根拠は何か、という存在論の次元、意味の世界からそれを問わざるを得なくなってきていると言うのだ。

 萩原氏は、教育のあり方について、重要な問題提起をしている。子どもの「成長を促す教育の場」としての学童保育の意義を、「単なる子どもの居場所」よりも優先するような指導員の考え方や、放課後子ども教室の取り組みを批判する。遊びを通して子どもの生きる力をはぐくむ場としての意義を導入しようとすることに対しても、「息苦しい教育のまなざし」だとして批判する。氏は、子どもにとっての居場所が、意図的操作的なまなざしに満ちた教育的空間からの子どもたちの生の「逸脱」、あるいは「逃走」であったという歴史的・社会的な意味や経緯を重視する。これを無視する「教育言説」に対して、教育的空間へと再統合し、暗黙のうちに教育言説へと回収してしまうという構図が透けて見えてくるとして批判する。「子どもの遊び」をめぐる議論でも、「遊びのもつ教育的意味」といったように、「遊び」という生の営みが教育言説へ回収され、子どもの「発達への応用可能性」や「教育的効果」として扱われることについて、そこでは、遊びそれ自体が子どもの生にとっていかなる経験をもたらしているのかという視座が十分に考慮されないと危惧する。

 そして、子どもたちの多様な生の在り様を解読したときに、教育実践の場へそのまま送り返すのではなく、むしろ子どもの生の在り様を軸として、「教育」「学校」「家庭」「地域」「社会」「メディア」の意味がいかなるものかを問うことが必要と言う。それと共に私たち大人が子どもたちと共に生きる同行者として何が豊かであるのか、何が幸せであるのかを考え続けるよう提唱する。そして、それは、同時に研究者も実践者も子どもとのかかわりにおいて自己が問い直され、絶えず自己更新され続ける営みでもあるに違いないと言う。

 神戸連続児童殺傷事件から20年以上たった今、評者は思う。状況は変化し、多くの若者が「リア充」を志向するようになって、「実存的な悩み」を置き去りにしてしまっているのではないか。ぼっち、中二病、メンヘラ、コミュ障などと見られることを極度に恐れる。彼らのこのようなリア充志向は「共存の作法」としては有効であっても、「生の回復と充溢」にはつながらないだろう。

 たしかに、萩原氏の指摘は、われわれに重要な示唆を与える。実存に迫らない建前に終始する「教育」では、若者の心に響かない。居場所の機能を阻害するこのような「教育」の介入に猛省を促す萩原氏の指摘の意義は大きい。しかし、「実存的な悩み」が置き去りにされる今だからこそ、「心の居場所」の一つとして、教育の役割はむしろ大きくなっていると考えたい。

 居場所には、個人としてのまたは社会人としての未来に向けた充実のための支援とは別の、「いまを生きる」ための「第3の支援」が存在すると評者は考える。そこでの「教育的まなざし」は、むしろ重要である。自然発生的な居場所と異なり、「教育的まなざし」のもとでの「居場所」においては、他の教育プログラムのような能力獲得目標の設定及びその到達度評価は行われない。だが、教育である以上、目標設定と、計画的・組織的な目標追求活動、個々人への効果測定及び事業評価は行われるべきだろう。肩を押してくれる、見守ってくれる、話を聞いてくれるなどの居場所的な支援が、指導者の「教育的まなざし」によってどのように行われているか。その内容と方法をきちんと評価し、交流・蓄積することこそ、いま求められていると考えたい。

 

 


【評者紹介】

西村美東士:若者文化研究所代表