子育てコラム Column about Child-rearing » »タイトル一覧へ戻る



保育のクロス・ロード 9

梅崎高行/細川美幸 往復書簡

掲載:2016年10月10日




あなたは、親です
-----------------------------------------------
 子どもとの食事のためにうどんを作ろうとお湯をわかしていました。
すると子どもが「うどんじゃなくて,蕎麦が良い」と言いだしました。
あなたは蕎麦に変更する?

細川  
こんにちは。ご無沙汰しています。
お元気ですか?
こちらは無事に子どもの命をこの世に生み出すことができました。

下の子が産まれた後すぐ,上の子が3歳になりました。
すごいですね,3歳って。
エネルギーの出かたが今までと違う。それと,
こちらの手のひらから出よう出ようとする感じ。
はあ,なるほど,これが3歳か,と,日々学んでおります。

そこで。

しょうもないクロスロードですが,
迷ったことを書きます。

あなたは、親です。
子どもとの食事のためにうどんを作ろうとお湯をわかしていました。
すると子どもが「うどんじゃなくて,蕎麦が良い」と言いだしました。
あなたは蕎麦に変更する?」

とっても些細なことなんですけどねー。
そして,どっちでも良いことなんでしょうけどねー。

でも,こんなときにも迷うんです。
「このまま子どもの言うなりに従ってよいか。それがこの子のためになるのか」
とか(苦笑)

梅崎さんだったら,どうします?

ちなみに,以前の梅崎さんからのクロスロード,片付けに関する問題。
あれ,うちでは3歳になって浮上しました。
で,うちでは,
私「片づけて」
息子「母ちゃんが片づけて」
私「なんで母ちゃん」
息子「だって,母ちゃんが出したやん」
とか,
私「ブロックで遊んでたら?」
息子「えー。だって、片付け大変やもん」
とかいう会話があってます。


梅崎  
復職,いろいろと大変なことと想像します。
思考が途切れてしまう生活なのですね。ただ,
お子さん二人ともすくすくで,お母ちゃんも頑張っている
というのが素敵だと思いました。

蕎麦とうどんの問題で,子どもに聞かずゆでた後で出た文句なら,
「じゃ食べないでよろしい」と言うと思います。

うどんをゆでようと思っていて,でも一応ゆでる前に子どもに聞いたら
「えー,蕎麦がいい」と言った。
その場合は蕎麦にしてやると思います。

子育てに正解はあります。それは子どもが持っています。
蕎麦とうどんの問題も同じ観点からの意見です
(以上は,私が保育のイロハを教えていただいた,
赤西雅之先生(子どもの家福祉会)の言葉です)。

そうやって「私」を育ててやるのです。ただし,
あんた一人で生きてるわけじゃないのよってことで,
お母ちゃんの「私」も大切にされます。

以上は鯨岡先生がおっしゃっていることですね
(なんだか受け売りばっかりだなぁ。苦笑)。

ということで,頑張れお母ちゃん!


細川  
ありがとうございました。

梅崎さんの返事のように,スパッといかないのは,なぜでしょうね。
本当に些細なことなんです。
うどんをゆでるかそばに替えるか。そのときは。
でも,あるとき,「この私の一つの決断」,それが大きな不安と責任感のように思えてくる瞬間があるのです。
例えば。
子どもがギャーギャーと言うことをきかないとき。駄々をこねるとき。
我慢ができずにぐずるとき。

あの,これは,子どもにとっては当たり前の行動ですけど,わかってはいるんですけど。
それが続いたりすると,
「ああ,私の育て方が悪かったかな。甘やかしすぎなのかな。」
と,自分を責める思考スイッチがオンになるんです。育て方を反省し始める。
で,そんなとき,何かネットや本などで
「子どもに,食事のときに希望を取ってはいけない」とか「○○すべき!◇◇はいけない!」いう記事を読んだりすると,「ああ,やっぱり」とか,「あれがダメだった,これがダメだった,今度はこうしよう」となり,「こうしなくてはならない!」と言う具合になる。

たった,うどんか蕎麦か,の話なんですが。

自分が健康で元気で余裕のあるときは,大した選択ではないのです。
そういえば,余裕がなさ過ぎて,無理なものは無理、と言うときも,悩みにすらなりません。子どもとも楽しくワハハと言い合えるときも,もちろん悩まない。
でも,子どもの言動が「あ,どうしよう,このままでいいのかな」と思う状態が続くと,この言動を生み出したのは私のせいかもしれない,という不安が生まれ,自分のかかわり方に問題があると思い始めると,とたんにアレコレ一つ一つが揺らいでくる。「○○すべきか否か」の二者択一を迫る悪魔がやってくるんです。

誰か,
「そんな,駄々をこねることなんて,3歳には当たり前じゃない!立派に成長してるって証拠よ!今,しっかり駄々をこねてたら,大きくなってから子どもは自分をコントロールできるようになるわ。あなたの育て方,いいじゃない!すてきよ~」

て,言ってくれたら。
悪魔はいなくなるような気がします。

自分で生み出してしまうんです。
私という母親を,評価をしている誰か。実在しない,評価者。
その見えない誰かにおびえて,これじゃいけない,あれじゃいけない,となる。
場合によっては実在することもありますが。

反省することも,悩むことも,大事なことだし,健康な証拠,かもしれない。
この母ちゃんのグズグズも,きっと,子育てにはつきもの,なのかもしれませんね。
ただ,健康に悩むことが難しくなる時が,あるんです。見えない漠然とした『不安』に取り込まれたとき,保育者や専門家の「大丈夫!」と,友からの「頑張れお母ちゃん!」の励ましの声が,自分を取り戻すきっかけになるのかもしれませんね。