「子どもを主体とした保育」ということが言われる。確かに保育の中心は子どもであり,保育をめぐる昨今の動向―あくまで待機児童対策,言い換えれば女性を労働力とみなす議論―に疑問を感じずにはいられない。
しかしながら,心理学を専門とする研究者の立場から,このテーマを丸ごと受け入れられない気持ちもある。

たとえば以下のようなことだ。

 主体として育てられた子どもはどんな大人になるのか

 そもそも主体とするとはどういうことなのか

そこで今回,子育てにかかわる立場の異なる三者(保護者,保育者,支援者)に依頼し,子どもを主体とした保育とは何かについて語っていただくことにした。
研究者発の上記の問いにお答えいただくとともに,子どもを主体とした保育を支えるような実践・支援ならびに研究の,新しい扉を開く材料を提供できればと考えている。

司会:梅崎高行

甲南女子大学
日本子育て学会広報委員会委員

支援者:塚越和子

保育士・療育コンサルタント・板橋区巡回相談員 

保護者:森田圭子

特定非営利活動法人わこう子育てネットワーク代表理事 

保育者:松永悦子

成増すみれ幼稚園教員


梅崎  それでは、それぞれ自己紹介などをしていただいてよろしいでしょうか。まず、保護者のお立場から今日ご参加いただいてます、森田さん。

森田さん自己紹介(保護者の立場から)

森田  私は埼玉県和光市で、わこう子育てネットワークというNPOの活動をしています。そのNPOの活動が始まったのは、2000年なので、一めぐりくらい昔、その頃はバリバリの(幼稚園に通う子どもをもつ)保護者だったのですが、もう子供は20歳と高校生くらいなので、現役というわけではありません。和光ってすごく転出入が多い街で、自分も出身は九州で、助けてくれる親もなくという所で子育てをしてまして、そういう人がとても多い街ですよね。

子育て支援の黎明期

 12年前だから、子育て支援拠点もなく、働いてはいないので保育園とかっていうのは、あんまり身近な存在でもなくっていうような状況でした。また、そういう未就学、まだ幼稚園とか、保育園とかに入る前、全然どこにも帰属してない時っていうのは、本当に親が子育ての大変さとかっていうのを、自分でなんとかしていかなきゃいけないんですけど、子育てしている人が集まる拠点もないし、まだ若くてそんなに人にお友達になりましょうなんてことは、なかなか言えない頃で、たいへんなままでいたわけです。
 そんな中、どっちかって言うと楽しい、幸せと思い描いてた子育てが、実はそうじゃない時もたくさんあるとか、体力的に追い詰められることたくさんあるっていうようなをわかちあったんですね。同じ思いを持っている人達同士で話をしたりとか、知恵を交換したりとかするだけで、だいぶ日常が支えられるっていうことを体験的に積み重ねてきて、そういう場を作ろうっていう、当事者同士の支え合いの場を作ろうというふうにして、活動を始めました。

子育てサロンの活動

 始めたのは2000年で、毎月1回子育てサロンという場を始めたんです。もともとは私は子どもの人権とか、子どもが育っていく時の親の役割とか、そういうことがすごく大事だと思っていたんです。
 それが大事であるがゆえに、お母さんしっかりしなさいよというよりは、お母さん達のしんどさとか、そういうものを支え合って、間接的に子どもを支えるというか、子どもの生育環境を支えるっていうような活動なんだなと、今、言語化すると、そういうふうに思っているんです。

専門家が怖い

 とにかく専門家とかに、それ(その子育て)駄目じゃないとかって言われるのが怖いとか、やっぱりいっぱい言われそうっていう、皆そんな気持ちを思っていたり、頭じゃ分かっていても、ついつい年端もいかない子どもに、わーって怒鳴ったり、あるいは時々手が出そうになったり、出ちゃったりとかっていうような実体験があって、専門家とか、保育園の先生とかに言ったら怒られるんじゃないかっていう思いがあって、恐ろしくってそんなこと言えないっていうようなところで当事者同士は、そこを支えながら、でも子どもにとっていい環境を作っていこうっていう親としてありたいところを、一緒に作っていこうっていう活動をしていきました。
 私達はその活動を、サロンっていう場所で始めて、2004年から、平成16年からは、子育て支援拠点のもくれんハウスっていう所の委託を受けるようになって、そういう拠点を運営するようになったんですけれども、そこに来られる方々は、今でもそういう感じで、私達もそこで支えるスタンスとしては、ずっと当事者、保護者、同じ仲間、ピアサポートで支えていくっていうような、活動をしてきています。

子どもから教えられること

 でも一方でですね、それは子どもが小さい時は、本当に子どもって親のそばにいるので、親がどうあったらいいかっていうのが、もう本当に100パーセント子どもに影響を与えるんですけど、10年も経つとですね、子どもは親が見てない所に遊びに行ったりとかですね、そういうこともあったりとか。
 あと、やっぱり子ども自身には、子どもは守られるだけの存在だけじゃなくて、いろいろ自分で育っていく、親の思いを超えて育っていく部分もあって、そういう環境で、自分が手に負えないっていうか、手に及ばない、地域の中で一緒に見てもらうっていような環境も、やっぱり子どもが育っていく時すごく大事だっていう、子どもも育つうちに、そういうことも見えてきました。
 当初は当事者同士の子育て支援みたいなものだけだったんですけど、年月が経つにつれて、地域の人達と一緒に子育てし合う、そういう子育てしやすい街づくりみたいなものを、一緒にやっていこうということで、子供が1人で自分体験して学んでいく遊びの場所を作るというようなことなんかにも取り組むようになりました。
 いろんな私達がそういうことで巻き込んでいく、いろんな当事者、保護者の集まりの中では、そういう声も出てきて、今はそういう親同士が支え合うサロンとか、子育て支援拠点のほかには、冒険遊び場、プレーパークのような、子ども達があんまりダメダメって言われないで、泥んことか、真っ黒になってもいいよっていうような見守れる親の力を付けていくというかですね、そういうようなことも考えながら、その地域にそういう遊び場を作っていこうというような活動にも取り組んでいます。

ピアサポートという考え方

 あと一方では、やっぱり広場も作り、そういう場所も作ったけれども、やっぱり出てこれない親子もいるということもあるので、少し先輩ママになったところで、専門家じゃなくて、先輩が後輩を支え合う地域というのか、そういう支え合う地域作りをしていきたいという思いもあって、今は拠点に加えて、訪問型の子育て支援、ホームスタートというのにも取り組み始めています。
 これもやっぱりピアサポートというところがベースになっていて、今はそういった年月も経って、私も少し歳がいきましたので、そういう支援的な部分でも展開していますけど、あくまでも全体的に、私達の活動は当事者主体というか、当事者の支え合い、ピアサポートというところで、専門家とは役割りを分けて、気持ちを支え合いながら、子ども達を見守る地域を作っていこうという活動をしています。そんな活動をしております。

梅崎  気になるキーワードがいくつも出てきたなと思って。専門家には言えないっていうのがスタートだったとか。お子さんが育っていかれるにつれて、子育てをしていく地域への関心が出てきたとか。見守れる親の育成をスタートなさったとか。あとはピアサポートの活動もなさっておられるとか。またこの辺りあとからお聞かせいただければというふうに思います。
 続きまして、保育者として、成増すみれ幼稚園から松永先生にお越しいただいてます。よろしくお願いします。

松永さん自己紹介(保育者の立場から)

松永  私は、成増すみれ幼稚園という板橋区にある幼稚園に勤続して15年目になります。2010年と2012年に男の子を出産し、今、二人の子育てをしながら仕事を続けています。ここ5年くらいは、担任からは外れてフリー教諭、副担任として勤務しています。
 子どもを産んで育てる中で、今まで、自分の中では保護者の気持ちに寄り添ってというところを意識しながら保育をしてきたつもりだったんですが、自分が実際に親になって、あの時あんな風にお母さんに言ってしまったけれど、もっと違う言い方があったかなとか、お母さんもっとこうした方がいいのにという気持ちがどこかであって、追いつめてしまった事もあったのかなと、過去の自分を振り返って、反省する事が多々ありました。
 しかし、子育てをしながら保育の仕事をする中で、保護者としての立場と、保育者としての立場と、色々な立場で物事が見ていけるので、以前よりも、子育ての大変さと楽しさを体感しながら保護者の気持ちに共感出来る部分が増えましたし、又わが子の通う園から得る情報も増えたので、視野は広がったかなと感じています。
 仕事の中で冷静に子どもを見られる自分と、子育てをしている中で冷静になれない自分とのギャップの激しさに戸惑ったり、反省する事も多いのですが、色々な人の手を借りながら日々、子育てと仕事に奮闘中という感じです。

梅崎  ご勤続なさって15年とおっしゃって、先生としてはすごいキャリアだと思うんですけれども、お子さんが誕生なさってから、またちょっと気持ちが変わってきたというお話がすごく印象的です。その冷静な自分と、いろんな葛藤を抱えたご自分と、行き来なさっておられる。その中で、保育も、子育てもなさっておられる。
 お子さんは、今はお仕事されている間は保育所に通っている?

松永  保育園に、はい。

梅崎  お仕事を続けながら、子育てにもなさっておられる。分かりました。またその辺り聞かせてください。よろしくお願いします。

 それでは、東京YWCAの塚越先生、支援者のお立場で今日はいろいろお話を伺わせていただけたらと思うのですが、どうぞよろしくお願いします。

塚越さん自己紹介(支援者の立場から)

塚越  塚越和子です。私は保育士です。それから、幼稚園でも教えたことがあるので、幼稚園教諭と。あとは、今は、療育コンサルトというふうな名前を自分で付けまして、主に発達に躓きのある、就学前のお子さんの応援と、それからその保護者の応援の仕事に携わっております。
 仕事は病院で、先生と一緒に仕事をしているかたちと、それから幼稚園、保育園を訪問させていただいて、先生を応援しながら子どもの支援につなげていく方法と、それから特に保護者支援を先生としていきたいんですが、時には園の中で保護者の方と面談をさせていただく時もあります。
 それから、今はどの園にも気にならないお子さんはいませんと言っても過言ではないくらいなんです。それが発達障害と診断がつくか、つかないかということは別として、やっぱりそれぞれの子どもの育ちを大切にしていくための、先生に応援者になってもらうための力を付けていただくために、幼稚園の先生達と統合保育の勉強会をして、今年で7年目になっています。

自己肯定観を持てない子どもと母親

 で、そういう仕事なんですけれども、いちばん私がやっぱり気にしているところというのは、しばらく前は発達に躓き、発達に遅れ、発達にどうのって言ってたんですが、ただその子たちを応援していくその延長線っていうのは、実は全ての子ども達につながるんだということが、とても身に染みて分かってきました。
 そのきっかけになったのは、私は月に2回くらいなんですけれども、病院で仕事をしている時に、私が以前に「こういうことが大事だから、お母さん頑張って」みたいな言い方を私もだいぶしてきまして、すごく頑張ってくれるお母さん達もいたんですが、ただその子ども達の育ちを見ていくと、実はその子たちがあまりいい育ちをしてないなと思う子にちょっと出会うことがあるんです。

 それは何かと言うと、子ども達が自分の気持ちを言えない。それこそ午前中の話のように(編集部注:座談会当日は日本子育て学会第5回大会が開催中で、乙武 洋匡さんの講演があった)、自己肯定感を持っていないんですね。言われればやる、すごくいい子なんですけれども、自分で嫌なことを嫌と言えない子どもがそこにいて。それを嫌だとか、やりたくないとかっていうことを言っていいんだっていうことを、もっともっと子育ての中で伝えていかなければいけなかったかなと思うので。そこで子ども達がその部分を自分の中にずっと溜めこんでいって、大体思春期でちょっと爆発気味になっているお子さんが、かなり病院にいらっしゃいます。
 で、その時になって爆発しちゃうと、保護者の方はすごく驚いてしまって、あんなに小さい時静かでいい子だったのに、あんなになんでもやってくれたのに、あんなに勉強もやったらできたのに、今はどうしたのっていう姿を見ることになっています。
 ですから、その自己肯定感をもっともっと、自分は嫌な時は嫌って言っていいんだよっていうことを育てるためには、じゃあどうしたらいいんだろうかっていうことを、非常に今先生達と考えながら、特に病院で仕事をしている時に、嫌なことを言うことを、むしろ練習から始めたり、実際にしているんです。で、そうだねー、それでいいんだよー、そういうこともあるよね。
 だから、頑張りなさいじゃなくて、そうだよね、そういうふうに思う時あるのよね、私もそういうふうに思う時あるよね、そういうふうに考えるんだねとか、そのありのままを受け入れていく。そうすると、僕はこういうことを言っていいんだとか、私こういうふうに感じていいのねっていうとこで。
 自分に対して素直な気持ちを持って、大きくなっていきたいっていうことが、今非常に大切だなということで、共感的な対応、言葉とか、すごく日々考えたり、練習したりですね。それを褒めていくだけではなくて、それプラス肯定感を育てるには、じゃあ具体的にどうしたらいいんだろうっていうことを、ペアレントトレーニングなんかを通して頑張っているところです。

療育コンサルタントとしての活動

梅崎  塚越先生ありがとうございました。いくつか確認といいますか、ちょっとさせていただきたいんですが。先生は保育士もなさっておられて、幼稚園の先生もなさっておられて、今は療育コンサルタントととしてご活躍だということなんですが、その発達障害のあるお子さんなんかに接される中で、例えば特別支援の専門家のような資格をお持ちだったりするんでしょうか?それとも保育士とか、幼稚園教諭の経験をもって、そういった発達障害のあるお子さんにも対応されておられる?

塚越  はい、保育者の経験から対応しています。学校に行く前、本当は幼稚園に行く前が大事だというふうに。それでお子さんを持つ前のご両親の子育てのところとかね、そういうところも大事だとか、いろいろいろいろ思いますけれども、そんなふうなところで仕事をしています。

梅崎  で、あちらこちらにお出かけになられていますが、それは例えば行政から委託を受けて行かれているのか、それとも先生個人として、その各園とご契約といいますか、なさっておられるのか、どちらなのでしょうか。

塚越  両方です。行政からは、例えば幼稚園の先生の研修を年間ずっとやって、幼稚園訪問もやるということと。あと個人では、病院と個人的に契約をして、そこで先生達と一緒に仕事をする機会がありましたので、そこは個人でやっていたりします。

梅崎  なるほど。嫌な時は嫌って言っていいんだよって、お子さんに、そういうことを言ってもいいんだっていうことを伝えるためのスキルトレーニングなんかもなさっておられる。
 またそれとは別に、保護者の方にペアレントトレーニングもなさっておられるっていうことですよね。
 かつて、塚越先生も、保護者の方にこうしなさい、頑張りなさいなんていうことをおっしゃられたと。それから10年後、お子さんたちの育ちがどうも「うーん…」っていう様子があることから…。

塚越  はい。ポツポツとそういうことがあり、自分が担当したお子さんじゃないんだけれども、保護者から聞くと、あんなに昔いい子だったのにっていう。だから大人にとってはいい子だったんですけど、本当にその子が辛かった部分を出せるように応援してきたかっていうと、そこはどうなのかな。なんで思春期でそんなに爆発しちゃうんだろうって思うと、やっぱりそこが大きいっていうことを感じています。

子育てをめぐる昨今の動向

梅崎  さて、一通り先生方の自己紹介いただけたということで、用意してきました流れに沿って、どんどん脱線しながら話が盛り上がっていけたらいいなと思うんですが。まずざっと簡単にですね、子育てをめぐる昨今の動向で、今のお話の中にも少しずつあったかと思うんですが、保護者の立場で、保育者の立場で、支援者の立場で、こういうことが最近気になっているといったことについて、一言ずついただいてもよろしいですか。じゃあ、森田先生。

政策と実際のギャップ

森田  昨今の動向で気になること。子育て支援のところでいろいろ見ていると、やっぱり待機児童の話ばっかりっていうことがあって。
 でも一方ではワークライフバランスとかね、そういうことも言われているんだけれども、やっぱり働きたいお母さんも増えていて、経済的にもひっ迫している家庭が増えているっていうのも見えているし、働くこともすごく必要だという意見が聞こえます。
 でも一方では、0歳児はちゃんと育休が取れるような環境ができて、0歳児は親と一緒にいてっていう方が理想的だって、皆思っているのは分かっているんですけど、なかなか環境が整わないうちに、働くことを、労働力として女性が当てにされているっていう部分もあると思うんですね。国の政策としてね。
 それで待機児童対策をとにかくというところで、実際の待機児童が横浜なんか0になりましたみたいな話を聞きますけど、実際のところを聞くと、やっぱりその園によってすごく保育の質が違っていたり、それから待機にはならなかったけど、兄弟であっちとこっちで、お母さんとお父さん毎日もう疲労困憊で送り届けて、お迎えに行っていて大変な生活を送っている。

塚越  あー、聞きます。

森田  そういう子育て中の親を、一方では子育て支援で親をね、サポートをしようとか言いながら(まだまだ達成されていない)。やっぱり肉体的な疲れっていうのは、精神的な疲れに直結したりとか、そういうストレスっていうのは、(一生懸命子育てに奮闘している親など)弱い者に向かいがち。
 あとはやっぱり保育の環境も、急ごしらえの、庭の少ないところに押し込めてじゃないけど、そういうところとか、あとは保育士さんがすごく少なくなったので、本当に保育士さんの力量の差がある中での保育が、バンバン、バンバン、今、全国的にガーッと増えていっている中で、結局そのしわ寄せ全部、子どもに行っちゃうんじゃないかなというところが気になっています。
 でも一方では、今の親は働くことばかりになって、ちゃんと親としての役割も果たさないでみたいな、一方ではそういう見方する人も増えていて、結局子育てしている人たちがとても追い詰められていくような構造になっているというのが、とても私は気になる。

梅崎  ありがとうございます。一言で言ってしまうと、社会構造の問題と表現できるでしょうか。

森田  それがどんどん進んでいっているっていうか、そっちの方に拍車が掛かっている。経済的なことが優先されて、(子どもや子育て家庭に)しわ寄せが来てる傾向がもう見えてきてる。これからなお一層そうなってくるかなという気はしています。

(次回に続く)