サイエンス・リポート Science Report » »タイトル一覧へ戻る



リレーコラム1

「勉強」について



子ども 子どもたちに聞きました

掲載:2010年4月22日

文責 長谷川佳代子/聞き取り期間(2009年6~7月)


 小学校1年生から高校生まで、埼玉県北部の約50人の子どもたちに「勉強について」というテーマで「言いたいことを言う」という前提で聞いてみました。子どもたちのプライバシーを厳守することを約束し、身近な大人には部屋を出てもらい聞き取りをしました。

(小学校低学年)
「勉強おもしろい」(1年多数) 「算数嫌い。先生が頭ぶつから」(1年女) 「国語嫌い。先生がね、黒板をバーンて叩くの。怖い音がするの」(1年男) 「先生が本(教科書)を読んでくれない」(1年女) 「ちょっとしたことで『だめです』って言う」(2年女) 「校長先生はやさしい」(1年男) 「勝ち負けばっかり言われてる気がする」(2年女) 「人(参観日や研究会など)が来ると優しい。ママと一緒で人がいないと怒る」(2年女) 「怒って話し合いで1時間が過ぎた」(3年女) 「オレさぼっていっぱい怒られた」(3年男) 「めんどくさい」(3年多数)

 

(小学校高学年)
「宿題嫌い。・・・まあまあかな」(6年女) 「学校好き。勉強嫌い。でも体育好き」(4年男) 「体育、理科、音楽、国語・・・好きだけど、社会嫌い」(4年男) 「びみょーに楽しくない」(5年男) 「むずかしい」(5年女) 「先生が楽しい」(5年男) 「今年の先生は勉強がわかりやすい」(5年男) 「自分の話はするが、人の話は聞かない」(5年女) 「委員会の仕事をして来ても子どもには怒るのに、自分は時間を守らない」(5年女) 「怒って解決しようとする」(5年男) 「子どもにおびえていて注意ができない」(5年女) 「生徒が正しいとわかるとケチをつける」(5年男) 「わからないところを質問すると『お前ならできるはず』と言っておしえてくれない」(6年女)

(中学生・高校生)
「勉強は好き。嫌いなのは英語、難しいから」(中2女) 「全部好き。好きと得意は別。不得意はある」(中2女) 「学校は好き。ほっとする。先生も好き、でも文句はある」(中2女) 「先生が面白ければ好き」(中3男) 「まじめ過ぎ。きれい事しか言わない」(中1女) 「こっちの言い分は聞かない」(高1男) 「口答えするな、の一点張り」(中3男)


保護者 保護者の声

保護者 Yママ

掲載:2010年5月10日


「仕事を辞めて子育てを。でも、社会から取り残された気分が・・・。」

「専業主婦なんだから、ちゃんときちんとしっかり子育てしなければ。」

「子どもの成績は、私の成績なの・・・?!もっと、がんばらないと。」

 今なら、「私の子育ては、私にしかできないすご~い仕事なんだよ!」って、自分を励ます術を知ったような気がしますが、以前の私は、こんな負の気持ちを心のどこかに持っていました。子どもはかわいくて、子育ては楽しいのに、その周囲のゴタゴタがいや、と感じることもありました。勝手にそう思い込んでいたのかもしれません。

 そんな時、夫や子どもに「ありがとう」と言ってもらうことが、どれだけ力になったか、元気100倍勇気モリモリになったのを今でも覚えています。

 この春、大学生になる娘を育てながら、実は、私育てをしていたような気がします。母親としての小さな経験の積み重ねが、家族や友人の愛の心を得て、私自身を成長させてくれました。

 今回、「勉強について」のアンケートを拝見させていただいて、勉強ってこの子育て感覚に似てるかも、と思いました。勉強自体は楽しいのに、その周囲のゴタゴタがいや・・・。

 学校・先生・親 ―― 勉強と切り離せないそれらとの関係からくる負の気持ちが似ているような気がします。学校の決まり・テストの点数・成績順クラス分け・親の期待・・・。

 子ども自身の"自ら学ぶ楽しい勉強"なはずなのに、「わ~、すごいね」「やったね」と受け止める前に、つい「もっとできるんじゃない?」「前より下がったね」とか、やる気をそぐ一言を言っていたような気がします。実際、私は言ってしまいました。(反省)

 娘は、自分は何ができるのかな、自分って何なのかな、と心のどこかで考えて成長してきたと感じます。だから、子どもの"「勉強おもしろい」(1年多数)"を伸ばしていくには、その子の心に寄り添える大人の感動や励ましを伴った愛の心が必要なんだと思います。私が子育てしながら家族からもらった素敵な「ありがとう」と同じように、その愛の言葉が必要なのだと思います。

 子どもが、なぜ勉強が必要なのか疑問に思ったときに、向かい合って、ちゃんと説明してくれる先生や親。つまずいてくさりそうになったときに、考える時間を与えてくれる先生や親。お互い認め合い、協力できる仲間。そんなまわりとの心の通ったコミュニケーションが、子どもの心を元気100倍勇気モリモリにしてくれるのではないでしょうか。

 私たちは、明るい未来を作る子どもたちをどう見守っていけばよいのでしょうか。

 日本子育て学会の皆様のお話をお伺いしながら、ただの主婦の私は、いつも改めて、子育てのすばらしさを感じています。


支援者 支援者の声

子育て支援者 <東京西武学館 冨田真生>

掲載:2010年5月10日


「心地よさだけを求める???」

 子供にとって勉強とは何でしょうか?

 「学校での学習内容をうまく理解できるようになること」と答える人が多いのではないでしょうか。確かに、学校で習う内容をしっかり理解して、しかも、応用まできくようになったら素晴らしいですよね。私も自分の子供にそうであって欲しいと思いますし、私の学校の生徒たちにもそうなってもらいたいと思います。でも、それだけが、全てですか?

 文部科学省が提唱してきた『ゆとり教育』は、何が問題だったんでしょうか? あまりに「ゆとり」という観点に目が行き過ぎて、教える内容が手薄になった、ということでしょうか?

 オリンピックで浅田真央ちゃんや高橋大輔選手が大活躍して、日本中が沸き上がりましたよね。私も、テレビに釘付けになりました。日本人として、嬉しかったし、誇りに思いました。でも、身近にいる子供たちは、みんながみんな、オリンピックに出場できるような選手になるわけではありませんよね。

 大上段に振りかざして、教育の究極の目的は、『自分が生きていく上での方法論を見つけること』ではないかと思っています。生きていくことって、楽しいことでもありますが、辛いことでもありますよね。学校で起こっているいじめが悪いって言ったって、職場の中でも、人間関係がうまくいかない人がいて、いじめられているって思っている人だっています。パワハラやセクハラなんて言葉があるくらいですから。姑が嫁をいびるなんて話は昔の話、、、では、ありませんよね。

 さて、子ども達の声を見てみると、勉強云々より、学校の先生との関係、親との関係への不満が多いような気がします。それだけ、子ども達にとっては、先生や親が影響力のある存在なんだなぁと改めて感じました。

 25年ほど前に、私の知人が行った研究です。「東京都内の私立女子高校で行った調査で、『先生の好き嫌い』と『教科の好き嫌い』に正の相関関係が認められる」という結果は、「それはそうでしょう」と当然の結果でもあり、「高校生になってもそうなんだ」と、先生の影響力の強さを再確認した結果でもありました。

 Yママがおっしゃるように、子どもに向き合う大人が、心の通ったコミュニケーションをしていけると素晴らしいですね。明るい未来を作る子どもたちを支えていくことは、私たち大人の使命でしょうね。

 私は、こう思っています。子育てに携わる大人が、子供たちに伝えるべきことは、「学習内容やスポーツを一生懸命学び習得していくことは大切です。しかし、うまくいかないことも受け入れる。いや、うまくいかないことの方が、自分を成長させてくれる薬なんだと思わせるようにする。」そんなことじゃないかと思っています。

 逞しい子どもたちもたくさんいますが、ひ弱な子どもが増えたような気もします。『心と体を鍛える』。それを子どもに伝えるためには、私たち大人が自ら人間性を鍛えなければならないんじゃないでしょうか。


研究者 研究者の声

研究者 <情報教育研究所 山岡テイ>

掲載:2010年7月27日


「子どもの勉強?親のための勉強?」

 子ども達が「勉強」から連想するイメージには、「親や先生」など大人への不満も出ていました。そこからは、子どもを囲む社会規範や環境の中で「いまは勉強をするように」と言葉や態度で不本意に強いられている背景も感じられます。

 小・中学生9学年の保護者を対象にした「子育て生活基本調査」で、『お子さんに「どうして子どもは勉強をしないといけないの?」と聞かれたときに、どのように答えますか』と尋ねて書いてもらいました。

 4,955人の母親達の記述内容は、その多くが子どものやる気を促す視点から回答されていたことが特徴としてあげられます。

 内容を大きく分類すると、もっとも多いのは「将来1人で社会生活を営むことができるため」と「将来なりたいものになるため」がいずれも4人に1人。つぎは、「いまは勉強すべき時だから」は8人に1人が答えていました。

 小学1年生から中学3年生までという幅広い年齢発達段階や子どもの学業成績の状況、親子の個性に合わせて発言内容はそれぞれ異なっていました。しかしながら、全体として母親は自分自身の経験を踏まえながら、子どもが勉強をするように助言する教訓にみちた内容が書かれており、小学校の低学年から勉強の習慣をつけたいと願う「本音と建前」の両方が文面からひしひしと伝わってきました。

 現在の子育ての悩みや気がかりを母親が語るときは、世間的には母親自身の問題として受け止めている表現が目立ちます。

 子ども自身の特有な言動であっても、子どもを引き離して見ないで、母親は自分の子育てがうまくいっていないとか将来への不安の先取りとして、自己卑下的にとらえる特性があります。子どもを独立した社会的な存在とみなす国々に比べると、日本の親は子どもの性格や問題行動、成績や勉強意欲も親の責任として取り込む傾向がみられます。

 いろいろな国で子育てや教育不安に関する国際比較調査を行っていますと、個々の家庭教育方針や経済的状況だけではなくて、国や民族などの歴史文化や社会経済環境を反映した教育観の違いが大きく異なって結果に表れてきます。

 たとえば、質問項目の中で、「子どもが悪いと自分の責任のように思う」を、日本に住む幼児をもつ65か国籍の保護者を対象にした「多文化子育て調査」の結果で、国籍別に比較してみますと、「とてもそう思う」と「ややそう思う」と答えた東アジアの母親(日本に住む日本人、中国人(以下国名で表示)、韓国・朝鮮、台湾など)は、8~9割もいたのに比べて、欧米(アメリカ・カナダ・イギリス・フランスなど)は1~2割しかいませんでした。

 つまり、日本人らしい、または我が家らしい子育て教育観は、親がその親や祖父母から受け継いだしつけ規範や準拠する家族や友人の価値観や期待を核にして、それぞれの親子の組み合わせが少しずつ相互に創り上げて変化していく独自な営みといえます。

 それと同時に、「いま現在の子育ては目の前にいる子どもだけではなくて、その次世代の子どもへと価値観や教育観を伝承している」行為だと思います。

 これからのグローバルな価値観の中で育つ子ども一人ひとりが、子ども自身で考えて行動し学んでいけるような環境づくりを家庭や学校、社会を構成する個々の立場からできることは何かとあらためて考えさせられたリレー・エッセィのテーマでした。