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『母親になるということ: 新しい「私」の誕生』

母親になるということ: 新しい「私」の誕生

著者:ダニエル・N・スターン(Daniel N. Stern)
訳者:北村 婦美
出版社:創元社
出版年:2013年
出版社書籍案内ページ:
https://www.sogensha.co.jp/book/b10138837.html

評者:池田詩子(保護者会員)
投稿日:2026年6月25日

 本書は、「母親になる」という経験を通して、女性が価値の優先順位やアイデンティティを再編成していく過程を丁寧に描いた書籍である。著者のスターンは、精神科医として乳幼児研究や母子関係修復の治療から得た知見をもとに、母性を単一の理想像としてではなく、一人ひとり異なる経験として描き、その多様性を温かく受け止めている。

 父親もそうかもしれないが、母親になると慣れないことや思いがけない出来事、心揺さぶられる経験が次々と押し寄せ、その日を過ごすだけで精一杯という人は少なくないだろう。子どもに恵まれた喜びと同時に、「私は母親としてやっていけるのか」「私はどうなってしまったのか」と、不安や自信喪失に襲われることもある。

 本書で特に印象に残ったのは、こうした母親の心理的不安定さを病理として扱わない点である。スターンは、「それがそんなに悪いことでしょうか?いいえ、ちっとも。(略)クレアの影響によって、ジョーイはある種の魅力や好奇心や独立心や自己調整力、そして情を発達させるようになるかもしれないのです」と述べる。母親の揺らぎや葛藤を問題として整理するのではなく、母子なりの最善を尽くした一過程として受け止めているのである。

 こうした著者の姿勢は、本書前半「母親になるまで」でよりよく理解できる。妊娠や出産、生まれてくる子どもへの想像を通して、複数の女性たちの生い立ちや個性によって異なる意味づけや反応が語られるからだ。本書を読むと、母親という存在を理想化された役割ではなく、多様な背景を持つ一人ひとりの人間として捉えられるようになる。

 本書の魅力は、母親の困難を診断的・病理的に説明するのではなく、一人ひとりの女性の人生の歩みとして描いている点にもある。著者は母親たちの不安や葛藤を「症状」や「問題」として整理するのではなく、その人の生い立ちや価値観、人間関係の歴史と結びついた経験として語る。そのため読者は、母親を理解の対象として見るだけでなく、一人の人間の物語として出会うことができる。

 周産期の心理支援に携わる立場から読むと、本書で描かれる母親の揺らぎは、今なお多くの母親が抱える言葉にならない不安を理解する手がかりとなる。例えば、母親が感じる切迫感について著者は、「本当はどうしていいかわからない時でも、未経験な状況でもあなたは即断しなければなりません。(略)あらゆる視線が権限を握るその人に向けられ、どうすべきか知っていることが期待されます」と表現する。このような言葉によって、母親が一人で抱えていた感覚は、母親特有の経験として共有可能なものになる。また、「赤ちゃんが万一自分から取り上げられてしまうときのために心の準備をして、そうすればこの過酷な愛から身を守れるとでもいうように、私は生まれたばかりの赤ちゃんから自分の気持ちを引き剥がしてしまったのです」という語りからは、愛するがゆえの母親の複雑な心情が浮かび上がる。

 本書は、周産期の女性を支えるパートナーや家族、そして支援者にぜひ読んでほしい一冊である。子どもを持つ女性の変化は本人にも言葉にしにくく、周囲が理解を深める助けとなるだろう。また、現在その渦中にいる女性にとっても、自らの経験を見つめ直し、「私だけではなかった」と感じられる機会を与えてくれるのではないだろうか。


【評者】

池田 詩子(一般社団法人ポジティブ・ディシプリン コミュニティ)


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